寅さんが言う
そのバカは何処のどいつだ!
そこで、卜全(ぼくぜん)が言う
(その)バカは、お前よ!
そう、(その)バカは、その私!
鏡の前で、そこに映っている自分を、まったく自分だと思っていない、その自分(他者)に対して、
俺はお前らと違う!世界を一瞬で破壊できる武器を持つ大国の王だ!国のためだろうが、俺のためだろうが、お前らの財産だって、命だって簡単に奪える!
実際、今だって、何万ものお前らを殺し、さらに何百万も殺すことが出来る!と、
なんと!無惨で、愚かで、大バカの、大戯け!
これはある記憶を紙に記録したもの
カレントの私の記憶は、ボクとその私(普遍の私)の記憶を、その脳で記録し解釈したもの
記憶とは
因縁果(法則)とその繰り返しの法則
因とは、よるところのもと
縁とは、その因によってなる因
果とは、そのよってなる因によってなるもの
因縁果の繰り返しとは
因が縁によって果となりその果が新たな因となり縁となりその縁によってその新たな果となるの繰り返し
その記憶の因がその記憶の縁によってその記憶の果となりその記憶の果が新たなその記憶の因となりその記憶の縁となりその記憶の縁によってその記憶の新たな果となるのその記憶の繰り返しの記憶
記憶の法則の記憶の繰り返し
その因の定義がその因によ(因)ってなるを、妙(不思議)という
その記憶の因縁果(法則)の繰り返しが「すべてのもの」(エネルギーから素粒子から物質、生命、現象、時間、空間、痛い、楽しい、等々、の記憶の世界)をつくる
そこにあるのは記憶(法則)(因縁果)の繰り返しのみ
「法則の繰り返しの法則」(因)(よるところのもと)
その記憶の繰り返し(振動)が、引力、エネルギー、時空、等の、記憶を生む
これがすべてをつくる
"実体"はその記憶(法則)のみ
世界(時空)を記憶(法則)と解釈する私は、"今、ここ"(時は今、空はここ)、の、自とか他とか、有るとか無いとか、一とか多とか、言い得ない、仮に、"一つ"、としか言い得ないもの
私は、一つ
だから、そのカレントの一つの私の他者(世界)(その私の脳細胞、その素粒子から、その無限の宇宙の果てまで)は、そのカレントの一つの私の身体
だから、そのカレントの一つの私の身体(他者)のすべての私は、その繰り返しの記憶の過去のそのカレントの一つの私の記憶
他者は、私
私も他者も"実体"も、記憶の繰り返し(法則)
無限に分割出来る"実体"とは、何、
無限とは、何
世界は、記憶(法則)
私とは、本来記憶である私とその世界(身体)とを、"今、ここ"(カレント)、で、"今、ここ"、にあるもの(実体)、と、解釈している、"一つ"、としか言い得ない、"一つ"、の、記憶としか言い得ない、記憶)
因縁果の法則は、その因と縁とで確率を生む
果はその因縁(確率)による
その果はその確率の揺らぎ(より単相からより複相)によってより複雑に変化する
太陽と地球との軌道は、その因と縁とで、より単相
陽子と電子との関係、原子と原子との関係は、その因と縁とで、より複相
物質と意思との関係、意思と意思との関係は、その因と縁とで、よりより複相
世界の多様性(自由)
その私の記憶の多様性(自由)の世界で、引力、エネルギー、物質、時空、意思、等の存在は、なぜ
確かなのは、"今、ここ"、の私
それは、"こうありたい"(多様性(自由))、とする意思(究極の意思)の私
"こうありたい"、ならば、それを解釈し実現するシステムが必要
"こうありたい"、ならば、時空、物質、エネルギー、引力、等が必要
"こうありたい"、ならば、さらに、繰り返し(振動、波、揺らぎ)、が必要
"こうありたい"、ならば、さらに、その法則(記憶)が必要
その多様性(自由)の世界で、意思は善悪を生む
創造は善、破壊は悪
善悪の大小は、その情状による
善悪の果(苦楽)は、その因縁(確率)による
生も、死も、死の「その時」の「記憶の精算」も、その因縁(確率)による
だから、悪(破壊者)は、「死を恐れよ!」、と
だから、より悪(破壊者)は、より「死を恐れよ!」、と
その背中に、「アウシュヴィッツは正義だ!」、「ヒトラーは英雄だ!」、と書かれ、そのジェノサイドの犠牲者達の顔に泥を塗り裏切る、その子孫の、その、より悪の破壊者は、誰!
情報操作で、市民を誑(たぶら)かし操り上り詰め、より悪の破壊者となった独裁者は、誰!
その独裁者、破壊者達は、すでに何万、何百万もの人々を殺している!
その破壊の独裁者のシンボル、ヒトラーを演じた「偉大な独裁者」(チャップリン)
今一度、その「偉大な独裁者」の、声、を聞け!