富国になると強兵が動き出す。
特に過去の反省ができてない(けじめがつけられない)国では。
靖国の波紋は、幾重にも、負の波紋となって重なり合う。
靖国のけじめがつけられない国は、福島原爆も、原発も、武器三原則も、政治も、経済も、憲法までも、けじめがつけられない。憲法のけじめが腐って何が法治国家だ。で、腐った国の慰安婦問題、エスカレートする負のイメージは経済にも。
誰(政治家、役人、業者)も責任を取らないけじめがつけられない福島原爆は、誰か(政治家、役人、業者)のゆりかご、税金使い放題で、”いつまでも汚染水垂れ流し”、が得だって。
ああ、現実主義!
靖国のけじめがつけられない、負の波紋を背負い込む、現実主義!
その破壊の現実を新たな破壊の口実に使う。
ああ、常識!
けじめがつけられないから、法のけじめも、解釈でねじまげ、これができれば、国家間の条約も商取引の約束もそれぞれの法機関でのその解釈で黒が白になることも可能だ。その例が最近の中国の日本に対する戦後賠償の解釈。つまり日本のけじめのない法解釈の影ぼうし。
その破壊の現実主義者は、しばしば常識を持ち出す。
破壊の現実主義者の常識。
靖国公式参拝の、非常識、非現実主義、を常識の現実主義にしてしまう。
あの福島大震災。これが現実だ!
その現実を突きつけられると、その破壊の現実主義者は、”想定外の千年に一度のことだから”、と、弁解の理想主義者に変質。
常識からすると、想定外、千年に一度は、非常識。
その非常識の常識を突きつけられると、その常識の現実主義者は、”想定外の千年に一度のことだから”、と、弁解の非常識の理想主義者に変質。
現実主義者の常識は、より狭い意味の世間主義。
常識を、”常の識”、と読めば、時間的にも空間的にもより普遍の識となり、これはより広い意味での理想主義。
その理想主義がより真の現実主義だということは、福島原爆大震災で明らか(より現実主義の理想主義者は歴史の先例として起こりうることを指摘していた)。
策略を用い、利のために生を破壊する現実主義の官僚主義者達。
ロシアのウクライナ侵攻。これが現実だ!
20世紀の負の遺産を経験し反省してきたはずの21世紀になっても、しかも、インターネット時代(バカはすぐに世界的にバカと認識される)、しかも、新しい真理が登場しその探求検証の時代に入っても、なお、利、名声、名誉、復讐に生き他者を破壊する官僚主義者達が同じ過ちをしでかす(日本のバカボンしかり)。
バカはこれほどにバカだ!ということは、教会でその体制批判をしていたキャピキャピ娘たちが、ことのほか、崇高で神聖に見えてくる。
猿の惑星
南アフリカ、アパルトヘイト、マンディラ、和解委員会、けじめ
各国いろいろ事情があるにしても、かっての日本の朝鮮、満州への侵略、日本人移住。この地域で国民投票したら?今のイスラエルのガサ地区へのイスラエル人移住。この地域で国民投票したら?
策略を用い、利のために生を破壊する現実主義の官僚主義者達。
かように、常識の現実主義の官僚主義者達によって、戦争、紛争、テロ、の大破壊の要因はことかかない。
その、戦争、紛争、テロ。これを千年に一度の想定外とは言わせない。
そのより高い確率のしかも人為的な大破壊の要因を、意図的に裁定基準からはずし、原発を推進しようとする。
策略を用い、利のために生を破壊する現実主義の官僚主義者達。
原発推進、ウクライナ侵攻、どちらも、策略を用い、利、名声、名誉、復讐に生き他者を破壊する同じ官僚主義者達。
戦争、紛争、テロの基準で原発を推進できまい。