”今、世の念仏の行者、俗男俗女、経文に違するのみならず、又、師の教(おしえ)にも背(そむ)けり、五種の雑行(ぞうぎょう)とて、念仏、申さん人の、すつべき日記、善導の釈、之れ有り、其の雑行(ぞうぎょう)とは、選択(せんちゃく)に云(いわ)く、「第一に、読誦雑行(どくじゅぞうぎょう)とは、上の観経等の往生浄土
の経を除いて、已外(いげ)、大小乗、顕密の諸経に於て、受持読誦するを、悉(ことごと)く、読誦雑行と名く、乃至(ないし)、第三に、礼拝雑行とは、上の弥陀(みだ)を礼拝するを除いて、已外(いげ)、一切諸余の仏菩薩等、及(および)、諸の世天に於て、礼拝恭敬(らいはいくぎょう)するを、悉(ことごと)く、礼拝雑行と名く、第四に、称名雑行(しょうみょうぞうぎょう)とは、上の弥陀の名号を称するを除いて、已外(いげ)、自余の一切仏菩薩等、及(および)、諸の世天等の名号を称するを、悉(ことごと)く、称名雑行と名く、第五に、讃歎(さんたん)供養雑行とは、上の弥陀仏を除いて、已外(いげ)、一切諸余の仏菩薩等、及(および)、諸の世天等に於て、讃歎し供養するを、悉(ことごと)く、讃歎供養雑行と名く」文。
此の釈の意(こころ)は、第一の読誦雑行とは、念仏、申さん道俗男女、読むべき経あり、読むまじき経あり、と定めたり、読むまじき経は、法華経・仁王経・薬師経・大集(だいしつ)経・般若心経・転女成仏経・北斗寿命経、ことさらうち任せて、諸人、読まるる八巻の中の観音経、此等の諸経を、一句一偈も読むならば、たとひ念仏を志す行者なりとも、雑行(ぞうぎょう)に摂(せっ)せられて、往生す可からず、云云、予、愚眼を以て世を見るに、設(たと)ひ、念仏申す人なれども、此の経経を読む人は多く、師弟敵対して、七逆罪となりぬ。
又、第三の礼拝雑行とは、念仏の行者は、弥陀三尊より外は、上に挙ぐる所の、諸仏菩薩・諸天善神を礼するをば、礼拝雑行と名け、又、之を禁ず、然(しか)るを、日本は神国として、伊奘諾伊奘册(いざなぎいざなみ)の尊(みこと)、此の国を作り、天照大神、垂迹(あとたれ)御坐(いま)して、御裳濯河(みもすそかわ)の流れ久しくして、今にたえず、豈(あに)、此の国に生を受けて、此の邪義を用ゆべきや、又、普(あまねく)、天の下に生れて、三光の恩を蒙(こうむ)りながら、誠に、日月・星宿を破する事、尤(もっと)も恐れ有り。
又、第四の称名雑行とは、念仏、申さん人は、唱うべき、仏菩薩の名あり、唱えまじき仏菩薩の名あり、唱うべき仏菩薩の名とは、弥陀三尊の名号、唱うまじき仏菩薩の名号とは、釈迦・薬師・大日等の諸仏、地蔵・普賢(ふげん)・文殊(もんじゅ)・日月星、二所と三嶋と熊野と羽黒と天照大神と八幡大菩薩と、此等の名を一遍も唱えん人は、念仏を十万遍、百万遍、申したりとも、此の仏菩薩・日月神等の名を唱うる過(とが)に依って、無間にはおつとも、往生すべからずと、云云、我、世間を見るに、念仏を申す人も、此等の諸仏菩薩・諸天善神の名を唱うる故に、是れ、又、師の教に背(そむ)けり。
第五の讃歎供養雑行とは、念仏、申さん人は、供養すべき仏は、弥陀三尊を供養せん外は、上に挙ぐる所の仏菩薩・諸天善神に、香華のすこしをも供養せん人は、念仏の功は貴とけれども、此の過(とが)に依って、雑行に摂(せっ)すと、是をきらふ、然(しか)るに、世を見るに、社壇に詣でては、幣帛(へいはく)を捧げ、堂舎に臨みては、礼拝を致す、是れ、又、師の教に背(そむ)けり、汝、若し不審ならば、選択(せんちゃく)を見よ、其の文、明白なり、又、善導和尚の観念法門経に云く、「酒肉五辛(しん)、誓って発願して、手に捉(と)らざれ、口に喫(か)まざれ、若し、此の語に違せば、即(すなわ)ち、身口、倶(とも)に、悪瘡(あくそう)を著(つ)けん、と願ぜよ」文、此の文の意は、念仏、申さん男女尼法師は、酒を飲まざれ、魚鳥をも食わざれ、其の外、にら・ひる(蒜)等、の五つのから(辛)く、くさき物を食わざれ、是を持たざる念仏者は、今生には悪瘡(あくそう)身に出で、後生には無間に堕すべし、と云云、然(しか)るに、念仏、申す男女・尼法師・此の誡をかへりみず、恣(ほしいまま)に、酒をのみ、魚鳥を食ふ事、剣を飲む譬にあらずや。
爰(ここ)に、愚人の云(いわ)く、誠に、是れ、此の法門を聞くに、念仏の法門、実に往生すと雖(いえど)も、其の行儀、修行し難し、況や、彼の憑(たの)む所の経論は、皆、以(もっ)て、権説なり、往生す可からざるの条、分明なり、但(ただ)、真言を破する事は、其(そ)の謂(いわ)れ無し、夫(そ)れ、大日経とは、大日覚王の秘法なり、大日如来より、系も乱れず、善無畏(ぜんむい)・不空、之を伝え、弘法大師は、日本に両界の曼陀羅を弘め、尊高三十七尊、秘奥なるものなり、然(しか)るに、顕教(けんきょう)の極理は、尚(なお)、密教の初門にも及ばず、爰(ここ)を以(もっ)て、後唐院は、法華、尚(なお)、及ばず、況(いわん)や、自余の教をや、と釈し給へり、此の事、如何(いかん)が心うべきや。
聖人、示して云く、予も始は、大日に憑(たのみ)を懸(か)けて、密宗に志を寄す、然(しか)れども、彼の宗の最底を見るに、其の立義も、亦(また)、謗法なり、汝が云う所の、高野の大師は、嵯峨天皇の御宇の人師なり、然(しか)るに、皇帝より、仏法の浅深を判釈すべき由の宣旨(せんし)を給いて、十住心論十巻、之を造る、此の書、広博なる間、要を取つて三巻に之を縮め、其の名を秘蔵宝鑰(ほうやく)と号す、始(はじめ)異生羝羊心(いしょうていようしん)より、終(おわり)秘密荘厳心に至るまで、十に分別し、第八法華・第九華厳・第十真言と立てて、法華は華厳にも劣れば、大日経には三重の劣と判じて、此くの如きの乗乗は、自乗に仏の名を得れども、後に望めば、戯論(けろん)と作(な)る、と書いて、法華経を狂言綺語
(きご)と云い、釈尊をば無明に迷へる仏と下せり、仍(よっ)て、伝法院、建立せし弘法の弟子、正覚房は、法華経は大日経のはきものとり(履物採)に及ばず、釈迦仏は、大日如来の牛飼(うしかい)にも足らず、と書けり、汝、心を静めて聞け、一代、五千七千の経教・外典、三千余巻にも、法華経は戯論(けろん)、三重の劣、華厳経にも劣り、釈尊は無明に迷へる仏にて、大日如来の牛飼にも足らずと云う、慥(たしか)なる文ありや、設(たと)ひ、さる文有りと云うとも、能く能く思案あるべきか。
経教は、西天より東土に?(およ)ぼす時、訳者の意楽(いぎょう)に随(したが)って、経論の文、不定なり、さて後秦(こうしん)の羅什(らじゅ)三蔵は、我、漢土の仏法を見るに、多く梵本に違せり、我が訳する所の経、若(も)し、誤りなくば、我、死して後、身は不浄なれば焼くると云えども、舌計り焼けざらん、と常に説法し給いしに、焼き奉る時、御身は皆骨となるといへども、御舌計りは青蓮華の上に光明を放つて、日輪を映奪(えいだつ)し給いき、有り難き事なり、さてこそ殊更(ことさら)、彼の三蔵所訳の法華経は、唐土にやすやすと弘まらせ給いしか、然(しか)れば、延暦寺の根本大師、諸宗を責め給いしには、法華を訳する三蔵は、舌の焼けざる験(しりし)あり、汝等が依経は、皆誤れりと破し給ふは是なり、涅槃経にも、我が仏法は、他国へ移らん時、誤り多かるべしと説き給へば、経文に設(たと)ひ、法華経はいたずら事、釈尊をば無明に迷へる仏なりとありとも、権教・実教・大乗・小乗・説時の前後・訳者、能(よ)く能(よ)く、尋ぬべし、所謂(いわゆる)、老子・孔子は、九思一言・三思一言・周公旦は、食するに三度吐き、沐(もく)するに三度にぎる、外典のあさき、猶(なお)、是くの如し、況(いわ)や、内典の深義を習はん人をや、其の上、此の義、経論に迹形(あとかた)もなし、人を毀(そし)り、法を謗(ぼう)じては、悪道に堕(お)つべしとは、弘法大師の釈なり、必ず、地獄に堕んこと疑い無き者なり。
爰(ここ)に、愚人、茫然(ぼうぜん)とほれ、忽然(こつねん)となげひて、良(やや)久しうして云く、此の大師は、内外の明鏡、衆人の導師たり、徳行、世に勝れ、名誉、普く聞えて、或は、唐土より三鈷(こ)を八万余里の海上をなぐるに、即(そく)、日本に至り、或は、心経の旨をつづるに、蘇生の族(やから)、途に彳(たたず)む、然(しか)れば、此の人、ただ人にあらず、大聖権化の垂迹(すいじゃく)なり、仰いで信を取らんにはしかじ、聖人、云く、予も始めは然(しか)なり、但(ただ)し、仏道に入つて、理非を勘(かんが)へ見るに、仏法の邪正は、必ず、得通自在にはよらず、是を以(もっ)て仏は、依法不依人と定め給へり、前に示すが如し、彼の阿伽陀仙(あかだせん)は、恒河(こうが)を片耳にただへて、十二年、耆兎仙(きとせん)は、一日の中に、大海をすひほす、張階(ちょうかい)は、霧を吐(は)き、欒巴(らんば)は、雲を吐く、然(しか)れども、未だ、仏法の是非を知らず、因果の道理をも弁(わきま)へず、異朝の法雲法師は、講経勤修の砌(みぎり)に、須臾(しゅゆ)に、天華をふらせしかども、妙楽大師は、感応、斯(か)くの如きも、猶(なお)、理に称(かな)わずとて、いまだ仏法をばしらずと、破し給う、夫(そ)れ、此の法華経と申すは、已今当(いこんとう)の三説を嫌って、已前の経をば、未顕真実と打破り、肩を並ぶる経をば、今説の文を以(もっ)て、せめ、已後の経をば、当説の文を以て、破る、実に三説第一の経なり、第四の巻に云く、「薬王、今、汝に告ぐ、我、所説の経典、而(し)かも、此の経の中に於て、法華最第一なり」文、此の文の意は、霊山会上(りょうぜんえじょう)に、薬王菩薩と申せし菩薩に、仏、告げて云く、始(はじめ)華厳より、終(おわり)涅槃経に至るまで、無量無辺の経、恒河沙(こうがしゃ)等の数多し、其の中には、今の法華経、最第一と説かれたり、然(しか)るを、弘法大師は、一の字を三と読まれたり、同巻に云く、「我、仏道の為に、無量の土に於て、始より今に至るまで、広く諸経を説く、而(しか)も、其の中に於て、此の経第一なり」と、此の文の意は、又、釈尊、無量の国土にして、或は、名字を替え、或は年紀を不同になし、種種の形を現して説く所の諸経の中には、此の法華経を第一と定められたり、同き第五巻には、最在其上(さいざいごじょう)と宣(の)べて、大日経・金剛頂経等の、無量の経の頂(いただき)に、此の経は有るべし、と説かれたるを、弘法大師は、最在其下(さいざいごげ)と謂(おも)へり、釈尊と弘法と、法華経と宝鑰(ほうやく)とは、実に以(もっ)て、相違せり、釈尊を捨て奉って、弘法に付くべきか、又、弘法を捨てて、釈尊に付奉るべきか、又、経文に背(そむ)いて、人師の言に随(したが)ふべきか、人師の言を捨てて、金言を仰ぐべきか、用捨、心に有るべし。”
(2005.04.26)
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