解釈に、大義と小義とがある。 |
大義とは、本質的、普遍的解釈。 小義とは、その部分的解釈。 |
解釈に大義と小義とがあるのは、 人間が、真理の探求と、生活の実践とに生きるからだ。 |
例えば、世界といった場合、大義では、 宇宙を含めた世界全体を意味するが、小義では、個人世界であったり、地域世界であったり、地球世界 であったりする。 |
宇宙といった場合も、大義では、大から小までの宇宙 全体を意味するが、小義では、星の世界の大宇宙のみを意味する場合が多い。 |
また、身体といった場合、小義では 、外界と隔たれた肉体を意味するが、大義では、外界を肉体の延長と見なし、 宇宙全体にまで及ぶ場合もある。特に仏教では、 肉体と環境とを隔たったものとは見ず、一体と見る。 |
仏教の視点からは、何故に、成、住、壊、空、 を繰り返す世界の身体が、同じ様に、成、住、壊、空、を繰り返す個々の身体に仕切られるのか、 を見る。 |
この仏教の視点から見ると、成、住、壊、空、 を繰り返す個々の"身体"が 無数存在しながら、外界の世界の"身体"が、存在するのと同じように、 成、住、壊、空、を繰り返す個々の"精神"が無数存在しながら、外界の世界の "精神"が、存在する。 |
その"身体"と"精神"とを合わせ持つ生命を、 "生命ソノモノ"といい、小義では、無分別の"空"における "生命ソノモノ"を意味し、大義では、"空"を含んだ生命全体の"生命ソノモノ"を意味する。 |
"生命ソノモノ"とは、プラス、マイナス、ゼロ、 含んだ、"生命全体"である。 |
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