日蓮

日蓮は考えた。


”生命の目的”は”成仏”であり、



”成仏”とは”今、ここ”に永遠に 生きる”私”の最高の生命の境涯を体現することであると。


”今、ここ”に永遠に生きる”私”とは、 常に無限大と無限小との時空の中間(中)にあり、全宇宙を身体としいる”私”であり、


”最高の生命の境涯”とは、 大慈悲に住し利他の創造に生きる最高に自由な生命の境涯である。


すなわち、”生命の目的”とは、 常に無限大と無限小との時空の中間(中)にあり、全宇宙を身体としながら大慈悲に住し利他の創造に生きる 最高に自由な”私”の境涯を体現することである。


”最高の真理”とは、 最善に解釈された”最善の真理”である。


”最善”とは全生命に対する無上の救済を意味し、 無上の救済とは最高の自由の境涯を体現することである。


”生命の目的”は 最高の自由の境涯の体現であった。


したがって、”最高の真理”とは、 ”生命の目的”とそれに至る方法を教える真理のことである。


その真理は法華経に説かれており、 その実態を法華経から導き出したのが中国の天台であった。


すなわち、天台は膨大な仏典を その内容からその説かれた真理の優劣、説かれた順序の整合性を見つけ出し体系化し法華経が仏陀の 最高最善の悟りとしてその実態を法華経から読み取り、その真理に基づいて仏陀の未来記のとおりに その時代に合った修行法を説いた。その真理とは法華経迹門の方便品の十如是から悟った ”理の一念三千”であり、その修行法とは同じく法華経迹門の安楽行品から導き出した観念観法の”摩訶止観”の 修行法であった。いずれも法華経迹門の真理、修行法であり、仏陀の付嘱どおりの振る舞いで、 像法時代の法華経流布を付嘱の とおり果した姿であった。さらにその天台仏教は日本の伝教(最澄)に受け継がれ、迹門の法華経は 中国の隋、唐時代、日本の平安時代の華麗な文化の礎となり華開いた。


このように、中国の天台によって法華経嘱累品での 迹門の付嘱はすでに完結されたが、 法華経神力品での上行菩薩への本門の付嘱(結要付嘱)は果たしてどうなのか。天台は”結要付嘱”の文から 五重玄義を導き出し題目の妙法蓮華経を詳細に解説しているが、その本義は明かさなかった。それは この”結要付嘱”が未来の 上行菩薩のために与えられたものと熟知し、天台による本門の解釈はその準備に徹したためで、 その証拠に天台は法華文句巻一上で ”後の五百歳遠く妙道に沾(うるお)わん”と未来の本門流布に対する恋慕の情を 表している。それでは天台以後すでに上行菩薩が出現し、この”結要付嘱”が説かれているのかいないのか。 そこで天台以前の経論釈、さらに天台以後伝わった、或は説かれた経論釈、それらを依教とする宗派等を あらあら検討してみると、法華経の流れは竜樹、天親、天台、伝教、と伝わり、伝教の後は その付嘱は断たれていることがわかった。すなわち、大集経に説かれる仏教の未来記のとおり解脱堅固、 禅定堅固、読誦多聞堅固を経て闘諍堅固の末法の今日仏教が乱れ、”正法”を 隠す形で方便教を最上とした宗派が乱立し、頼みの中国の天台宗はすでに衰え、 日本の天台宗も伝教の後第三代の慈覚のときに真言密教に染まり、 ”正法”(法華経)は完全に 埋没してしまっていた。そこで日蓮自ら、この探究に乗り出すことになる。


すなわち、 法華経本門の付嘱(結要付嘱)とは何か、日蓮の探究がはじまった。

(1998.10.1)