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法華経

インドの仏陀は考えた。


世界は必ず何かの法則によって動いていて、しかも、その根本は、たった一つの法則に違いないと。


仏陀が仏陀となった時、その"一つ"の法則がわかった。


その法則とは、一瞬の"生命"である"私"という無始無終の生命の"法則"であった。


結局、その一つとは、"法則"であり、"生命"であり、"私"であった。


そこで、その"一つ"に、"法則"の面から名前をつけた。


妙法蓮華経

(Saddharma-pundarika-sutra)



(Sat)

(思議し得ない一つのものがある。)



(Dharma)

(それが法則となる。)



蓮華

(Pundarika)

(その法則とは、今の一瞬の生命の中に過去と未来の事物を含む、である。)



(Sutra)

(それが世界となる。)



仏陀とは別名、如来ともいう。


如来とは、如如として来ると読む。如如とは、一瞬一瞬という意味である。


すなわち、その一瞬の"妙法蓮華経"の、一瞬一瞬の繰り返しが、"世界"となる。


仏陀は、この"妙法蓮華経"の"法"の面での、説明のために、法華経を残し、膨大な経典を残した。法華経は特に滅後のためである。


そして、この"妙法蓮華経"の"生命"の面と、"私"の面の出現を、未来に委ねた。


法華経に説かれている"付嘱"の場面がそれである。


(1997.9.16)

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