たとえば、(普遍の)私の目の前のその私の腕に、その私の因縁として、一匹の蚊の私がとまっていて、まさに私の血を吸おうとしている。その蚊の私はきわめて危険な病原体をもっていて、まさに敵であり、その敵の蚊の私に、その邪悪な彼(その私)のいう、正当な防衛とやらで、たとえば、その邪悪な彼(その私)の名が、安倍晋三という 私、だとすると、その蚊の私を、安倍晋三という私として(その蚊の私は100%その安倍晋三の私。なぜなら、私は一つだから)、叩き潰す(怨念、呪い、祟り、と称するものの実体)。すると不思議なことに、その蚊の私の因縁の苦は、その安倍晋三の私の因縁の贖罪となる(私は一つだから)。